10年前(回想)

 10年前の私の愛機は、SONYのHi-8ハンディカム「TR-1000」でした。あの8月の初旬のある日、私は夕方5時で会社を退社しました。そして、(確か水不足だったような)自宅に大急ぎで帰り、愛機を抱えて空港に向かいました。アパートの前でタクシーを拾い空港に向かう途中に激しい通り雨が!!(今考えると、あの水不足の時期に空港に向かうタクシーの中で激しい通り雨に見舞われたのは、この先の旅の大変さを予感させるものだったのかもしれません。)
 空港では、私が乗るはずの飛行機が少し遅れて出発することになりました。理由は思い出せません。機材の到着が遅れたからだったかもしれません。この時点でなんだかいやな予感がしていました。そして15分遅れで出発したのですが、羽田上空の混雑のため、すぐには着陸できず、ホールドされます。羽田上空が混雑したのは、私の乗った便が遅れたためだったのか、その他の要因によるものだったのか。
 空港に着いた時点ですでにアウトでした。上野発青森行きの夜行寝台特急「はくつる」(はくつるは2本出ていて、私が乗ることになっていたのは早く出発する列車でした。)には間に合わなかったのでした。上野駅に着いて、後発のはくつるに乗りたいむね駅員に申し入れましたが、満席で乗れないとのこと。ガーン。
 この時点で、もう帰ろうかななんて気持ちがなえてしまっていたのですが、気を取り直して、明日の朝いちばんの新幹線で北を目指すことにしました。そして、上野の町を宿を探してさまよったのです。よく場所は覚えていないのですが、駅から程近いところにカプセルホテルがありまして、そこに泊まりました。
 翌朝いちばんの新幹線に乗り込みました。自由席の空いている席に座って仮眠を取ろうとすると隣に中国人(台湾人?)の青年が座ってきました。別の席に移動してもまた付いてきます。なんだ?と思っているとどうやらその人は学生で海外旅行の途中らしく、目的地までの道のりを聞きたいらしかったです。こちらはせっかくの仮眠をとる時間をと思ったのですが、むげに断ることもできずあれこれと教えました。彼の目的地はどこだったのか、思い出せません。
 彼は私のことを、「夏休みに旅行している大学生」だと思っていたようです。(^^)・・・当時から「立派な」社会人だったのですが・・・(いや、立派な社会人とは、優秀であると言う意味ではなくて・・・一人前・・・でもなかったかな・・・とりあえずいっぱしの社会人だったということです。)
 その後盛岡(当時の東北新幹線は盛岡まで開業していました。)から、在来線の特急列車「はつかり」に乗り換えて一路三沢を目指します。そう、三沢に来ていたサンダーバーズの演技を見るために向かっているのでした。朝一番に三沢に到着することができなかったため、午前中のブルーインパルスの演技に間に合わないことは覚悟していました。それでも、サンダーバーズだけは見たい。その思いだけで三沢に向かったのでした。
 ところで、上野からの夜行寝台特急が「はくつる」だと書きましたが、本当にそうだったのか記憶があいまいです。昼間の特急が「はつかり」だったのかどうかもあいまいです。もし間違っていて、鉄ちゃんが見たら怒りそうですが、当時は航空祭の道のりを保存していませんでしたので(今は航空券や航空祭のパンフレットなどをストックしています。)、調べないとわかりません。・・・確かそんな名前だったと記憶しているのですが、ゆうづるとかだったらごめんなさい。(木下順二じゃあるまいし。)
 やっとのこと、三沢に着きました。駅から基地まで歩きました。その途中でもまた思わぬ邪魔が。三沢の商店街を歩いているときでした。自転車に乗った二人連れの外人の青年が近づいてきます。どうやら、彼らは教会関連の青年らしかったです。だって、いきなり二人が「神様は存在すると思いますか?」てな具合に話しかけてきたのです。ちょうどブルーインパルスが飛んでいるときにですよ。なんて日なのだろうか。きっと神様が(いるとしたら)私が航空祭に行くのを妨害したいに違いない。参った参った。
 なんと言ってごまかしたのか忘れましたが、何とか三沢基地に到着。その日の三沢は少しもやっていましたが、快晴でした。地上展示されているサンダーバーズのところに近づきたかったのですが、平日なのにスゴい人手でとても近づけません。というわけで、エプロン地区でサンダーバーズから少し離れた場所に陣取り、ひたすら演技開始を待ちます。
 そして演技開始。事前に進入方向とかを調べられなかった(当時はまだインターネットが普及しておらず、外国のアクロバットチームの演技のパターンを調べるすべがありませんでした)ので、ビデオ撮影はいまいちのレベルだったのですが、初めてのサンダーバーズのフル・ショーを堪能できて、大満足でした。
 帰りは、基地から駅まで再び歩きました。そして特急列車で青森へ。青森駅は本当にターミナル駅でした。青函連絡船にそのまま列車を載せるために、線路が海に向かって伸びているのです。(当時はもう青函トンネルが開通して青函連絡船は廃止されていましたっけ?)
 そこから、青森空港の連絡バスに乗って青森駅へ行き、空路大阪へ。(私の地元空港行きの遅い便はなかったのです。)確か機内はほぼ満席でした。当時のJASのMD-80型機だったと思います。青森からの旅の帰りらしい若い女性の二人連れが隣の席でした。(われながらよく覚えているなぁ。)二人から、いろいろ話しかけられました。普段なら気の聞いた受け答えをするところですが、面倒くさかったので適当にごまかしたような気がします。そういえば、機内の雑誌(航空会社が毎月発行しているやつ)にも三沢の航空祭のことが地元のイベントとして載っていました。
 大阪空港から新大阪まではタクシーで。(大阪空港から新大阪駅までの時間が読めなかったので・・・。)そこから新幹線に乗って地元まで帰ってきました。
 この三沢への大旅行。ざっと10万円以上はかかってしまいました。
 でも、懐かしい思い出です。
 もし、サンダーバーズが三沢で一般公開をしていたらと考えていたら、10年前の旅行のことを思い出しました。かなり大変な道のりでしたが・・・やはり同じようにして三沢まで行ったのでしょうね。今なら有給休暇を使ってもう少し楽で安い旅をしたでしょうが。(9月30日に開催されていたらバースデー割引が使えました。)(^^)

2004年10月3日 | カテゴリー : 飛行機 | 投稿者 : assak