今、人の乍ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆な怵惕惻隠の心あり

怵惕:じゅってき

 孟子の性善説を表す言葉の中で最も有名な言葉である。人間というのは幼子が今まさに井戸に落ちようとするのを見れば、みな憐れみの情というのがわくという意味である。

 たびたび登場している新人君だが、週明けの13日にはついに辞意を伝えてきた。

 私ともう一人直属のマネージャが話を聞いたのであるが、本人の談によると専門学校に通ってITの勉強をしたい、そして資格を取りたいからだということである。

 なんだかなぁ。私にとって専門学校というのは、就職するための予備校というか、勉強するのが目的ではなく、企業で使えるスキルを教える学校だという認識なのだが。つまり、会社に就職している時点ですでに専門学校に行く目的は達成していると思うのだ。なのに、その会社を辞めて専門学校に行きたいとは。(ちなみにその新人君は4年制の大学を出ている)

 私が新人君の気持ちを推し量るに、他の新人よりも少しスタートが遅れていることに劣等感を抱いているようで、他の新人が出張に行ったり、高度な仕事(本人はそう思っている、実際はそうではないのだが)を任されたり、しているのをそばで目の当たりにして、自分の将来を危ぶんでいるようである。それに、上長に少しきつめのことを言われたことが重なって、今の環境から逃げ出したくなっているように思う。

 とりあえず、「今逃げ出したら絶対に後悔するからもう少し頑張れ」と言って慰留に努めた。後悔するのも人生であり、そこからやり直すこともあるのだろうが、今回の場合はそういう自立した大人に対して一定の理解を示すという態度は取らない。あくまでも、親の子に接する態度のように、諭していくつもりだ。本人談によれば、両親とも退職して専門学校に行くことに理解を示しているというが、両親は本人の意思を尊重するという金科玉条のもとに厳しさを持って子供に接することを放棄していないのか、そんな風にも思えてしょうがない。

 もちろん、我々にはそういう新人君でもいったん雇ったら少なくとも一人前と呼ばれるようになるまで鍛えていく使命があるのも事実であり、本人の特性に合わせて柔軟に対応しなくてはならないのだろうが。しかし、ここまで弱いと対処にも限界が出てくる。このままだと、本人はパラサイト生活のまま引きこもりになり、世間から隔絶して生きていくことしかできなくなるのでは、と思うのは考えすぎだろうか。

 今月末にもう一度話し合いの機会を持つのだが。本人は翻意するのだろうか。