太陽風交点とトリニティとフェルマーの最終定理と・・・

 太陽風交点とは堀晃さんの小説のタイトルです。私の手元にあるのは「徳間書店」刊行の文庫本で1981年の初版本でした。当時福岡県北九州市八幡西区の黒崎には「井筒屋ブックセンター」という大きな書店があり、そこで購入したものです。当時の井筒屋ブックセンターは黒崎井筒屋の裏手にある別館4F建て(だったと思います)で、豊富な書籍をそろえており、よく仲間と遊びに行っていました。

ということで、すでに購入から36年経過しており紙は黄ばんで汚れてしまっていますが、なぜかまだ本棚に残っていたので、ちょっと写真撮影してみました。

井筒屋ブックセンターのしおりが挟まったままだったので、一緒に撮影しました。

実は太陽風交点を「徳間書店」から出版する際には紆余曲折がありましたが、その説明は本稿の趣旨とは違うので割愛します。

単行本化されてすぐに購入したので、初版本です。

 今回はフェルマーの最終定理の話です。フェルマーの最終定理は1995年に証明されていますので今紹介する理由は全くないのですが、大好きな定理だったのでちょっと書いてみたくなった次第です。


フェルマーの最終定理とは

 フェルマーの最終定理とは以下のような内容です。
 「立方を2つの立方に、二重平方(4乗数)を2つの二重平方に分けること、そして一般に、平方より大きな任意のべき乗を2つの同じべき乗に分けることはできない。このことの真に驚くべき証明を私は得たのだが、それを書くには、この余白はあまりに狭すぎる」

 ずいぶんもったいぶった言い方ですが、これは後述にあるとおり「算術」という書籍への書き込み(走り書き)なので、公式な文書でも何でもありません。

 文書の意味に関しても何のことかと思いますが、これを数式で書くと次のようになります。
 「X^n+Y^n=Z^n(n≧3の自然数)を満たすX,Y,Zは存在しない(X,Y,Z>0の整数)」(※「^」はべき乗を表します)
となります。このフェルマーの最終定理は、理系の人なら一度は耳にしたことがあると思います。

 そもそも「定理」とはその内容が証明されて意義のあるものを指します。フェルマーの最終定理は「定理」とはありますが、本人はもとより360年にわたって誰も証明できませんでした(本人は解法がわかっている口ぶりでしたがその内容がどこにも残っていませんので今となってはなんとも言えません)。だから、「定理」というのはおかしいのです(実際には予想というべきもの)が、フェルマーは生前から数学者たちの集まりに対してこのような「証明を明らかにしない」定理を手紙で送っていました。ヒントなんかも書いて送っていたようで、ずいぶん「上から目線」な感じがしますが、そのくらい秀逸な存在だったようです。かのニュートンも微分・積分に関してはフェルマーの考えからヒントを得たとはっきり書き残しているくらいです。

 フェルマーの最終定理は実際には定理とは言えませんが、後世の数学者たちが(フェルマーに敬意を表して)定理と呼んでいるので、本稿でも「フェルマーの最終定理」と呼ぶことにします。


フェルマーって

 フェルマーは1600年代の数学者です。生前はその業績はあまり世に広まることはありませんでした。前述のように、数学者たちの集まりに参加する程度だったようで、論文などを沢山残していたわけではありません。

 フェルマーはバシェ(フェルマーより前の時代の数学者)の著した「算術」という書籍に沢山の書き込みをしていました。その書き込みを付録とした「バシェ版算術」をフェルマーの息子が再版したことにより、フェルマーの業績が世に広まることになりました。というのも、その書き込みは示唆に富んでいて、他の数学者・物理学者に多大な影響を与えたからです。


堀晃と太陽風交点

 堀晃さんはSF作家です。当時中学生だった私が読みふけっていた作家でもあります。ハードSFという分野(最新の科学理論などを駆使したSF)の小説を書いていました。彼は大学では理系だったということで、筒井康隆さんや小松左京さん(この二人も大好きな作家ですが)よりも面白かった記憶があります。その彼の著作の一つが太陽風交点です。

 太陽風交点は単行本のタイトルであり、その中に収録されている短編小説のタイトルでもあります。短編小説のあらすじは「主人公の亡くなった彼女のクローン脳が別の星系の宇宙ステーションの中にあり、異常を訴えているということで、主人公がその原因を解明しに行く」というものです。話の中で主人公は結晶状の生命体「トリニティ」と出会います。トリニティはシリコン・半導体の結晶構造が人間の脳細胞のシナプスのような役割を果たして、3,000万年に渡って成長してきた結晶生命体です。主人公とトリニティはその後様々な冒険をしていくというものです。ただし、その冒険談は後付けで生み出されたものであり、主人公とトリニティとの別れは同じ単行本に収録されている「遺跡の声」という短編にすでに描かれていました。その遺跡の声のテーマが「フェルマーの最終定理」だったのです。


遺跡の声

 次に同書に収録されている「遺跡の声」という短編小説についてです。「遺跡の声」のあらすじは「主人公とトリニティが調査を依頼された惑星には地球でいうピラミッドのような遺跡があり、その遺跡とトリニティがシンクロして別の存在になって主人公の元を去る」というものでした。惑星の地下には遺跡を製造した人類がコールドスリープの状態で眠っていました。遺跡はトリニティと同じような構造で知能を持っていました(テトラニティと呼ばれていました)。種としての進化の限界に達した彼らは、新たな進化の道を開くために、自分たちより高度な文明に出会うまで自ら休眠状態になって遺跡にその文明との出会いあるいは遺跡自身がより高度な状態になって自分たちを起こすのを待つというものです。その高度な文明というのが「フェルマーの最終定理」を解けるくらいの文明ということになっていました。

 小説の中では、フェルマーの最終定理はとてもじゃないけれどまだずっと解けない存在でした。多分作中の人類(私たちの遙か未来)でも解明されていないものという描写でした。もちろん実世界においても、小説が世に出た1980年代は、まだフェルマーの最終定理は証明されていませんでした。私も小説を読みながら科学への興味をかき立てられたものです。


SF小説を書く難しさ

 ところが、人類は遙か彼方の恒星系に宇宙船を飛ばすより遙か以前の段階でフェルマーの最終定理を解いてしまいます。フェルマーの最終定理の解法は専門書に譲りますが、楕円曲線の理論を用いたもので、日本人の数学者の研究もその解法の一助になった(谷山・志村予想)とのことで、少し誇らしい感じがしています。

 このように、SFで未来を予測することは非常に難しいです。もちろん、フェルマーの最終定理が解かれてしまったことで本小説の価値が下がるわけではありませんが、「あぁ、あの頃はフェルマーの最終定理が解けないものとしてこの小説の構想を練ったのだろうな」と思うと「クスッ」と思ってしまいます。

 そういう意味では、現在のように携帯電話が盛んになるとは過日のSF小説では全く書かれていないので、想像できなかったんだろうなと思います。


 というわけで、堀晃さんの太陽風交点を久しぶりに手に取ってみたので、徒然なままに感想を書いてみました。