レビュー:フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 第18回「ザ・トゥルース」

NHKのBSプレミアムで毎月第4水曜日に放送されている科学史のドキュメントである。

今回は第18回(2017年10月26日放送)分のレビューで、タイトルは「ザ・トゥルース(真実) 世界を変えた金融工学」である。

いつもは、科学者たちによる非人道的、非倫理的な実験や(妄信に基づいた)治療方法などが紹介されている。前回レビューしたのは森鴎外の回で、彼が自らの考えに固執する事で多くの兵士を死なせたというものであった。

ということで、いつもより軽めのレビューとなっている。

金融工学というのはあまりなじみがない方もいるかと思うが、簡単に言うと金融商品(株式とか保険とか先物とか)の市場においてその価格の変動を、数式を用いて予測しようという学問である。

ザ・トゥルース:The Truth(真実)とは

本番組のタイトルにもなっている「ザ・トゥルース」とは、金融商品の商品の将来の価格をより正確に予測する計算式の事である。いわば金融工学の究極の目的と言えるものではあるが、これは学問として成立しないというパラドックスがある。

なぜならば、金融商品の将来の価格を正確に予測する計算式を手に入れる事は、金の卵を産む鶏を手に入れる事に他ならないからである。

その理由は、皆が利用するようになると予測が出来なくなってしまう。市場自体がこの計算式による売買の影響を受けてしまうためである。そのため、この計算式を発見した人はこれを秘匿しようとする事は明らかである。秘匿するという事は、学会などの表舞台に出る事はない。

本番組は金融工学の黎明期から、科学的分析によって金融商品の将来価格を予測しようとするものたちの悲喜劇の歴史を紹介するという形になっている。


出演者

武内陶子
池内了
山嵜輝

今回は科学は科学でも金融工学の話で、直接的な医学や生物学の実験の話ではないし、直接的な死人が発生したわけでもないので、出演者も少し穏やかに番組を進めている印象であった。


金融工学の始まり

本番組では金融工学の始まりをレオナルド・ソープ氏のブラックジャック必勝法であるとしている。彼はシカゴ生まれでMITの数学講師だった人物である。

このブラックジャック必勝法とは後のカウンティングと呼ばれる手法であり、レオナルド・ソープ氏の著書である「Beat the Dealer」に詳しく書かれている。本番組では、ブラックジャックで10のカード(10,J,Q,K)16枚が場に出た数を数えて、その数に応じた勝率に基づいて勝負するというものである。今であればExcelとかの式でも導き出せるが、当時彼は大学のコンピューターを使ったシミュレーションにより勝率を計算していたそうである。また、かける金額に関してもケリーの公式と呼ばれるものを用いた。

彼は実際にカジノで3日間ブラックジャックを行い、元手の10,000ドルのチップは倍以上になったそうである。

確率論というものをギャンブルに利用しよう、つまりギャンブルで勝とうという試みは16世紀頃から研究されていた。しかし、多くの人々はカジノではディーラー側が圧倒的に有利だと考えて、諦めていたとある。そのなかで、レオナルド・ソープは初めて、客側でもギャンブルに勝つ事が出来る事を証明した人物だと評している。

実際に彼は著書を発表し論文にした事もあって大きなインパクトを呼んだ。カジノにおけるブラックジャックのルールや管理方法に影響を与えている。


ソープによるウォール街への進出

1964年にレオナルド・ソープはウォール街に進出する。彼が目を付けたのがワラントである。ワラントとは当該企業の株式をあらかじめ定められた価格で購入する事ができる権利(あるいはその証書)の事である。ワラントは当時世に出始めたばかりの金融派生商品である。権利行使時に株価が上昇していれば、そのときの価格との差が利益となり、下降していればその分が損失となるものである。

番組では、ソープは株価が下降する場面でも利益を出す方法として特徴的な方法を行ったとしている
その一つは空売りである。ワラントを借りてきて現在の価格で売った後に実際に株価が値下がりしたらその価格でワラントを買い戻し、借りてきた人にそのワラントを返すというものである。空売りでは株価の上昇局面では損失を被る。

そこで彼はもう一つの方法として同じ銘柄の株式自身も購入する事とした。
この実債の株式とワラントの購入の比率を緻密に計算する事により、株価の上昇局面でも下降局面でも収益を出す事を可能とした。実際にソープは20%以上の利益を叩き出した。

番組では予測不可能とされた金融市場で確実にもうけを出す、その数式を編み出した事がトゥルースの先駆けであるとしている。

ソープはウォール街で投資家を募った。しかしながら、ソープのような数学的なアプローチで株式の取引は受け入れられなかった。当時は財務状況を調べたり取締役の話を聞いて株式の売買の判断をするのが一般的だった(経験と勘と度胸)。


ブラック・ショールズ方程式

ここからは、金融工学の歴史においてもかなり画期的なお話である。番組では、ソープの著作に興味を持ったのが科学者たちであり、彼らによって編み出されたのがブラック・ショールズ方程式であると解説しているが、それはいかがなものか。

ブラック・ショールズ方程式は、フィッシャー・ブラックとマイロン・ショールズの共同研究により生まれた方程式である。彼らが研究していたのはワラントにおけるオプションの評価式に関してであるため、私の知る限りレオナルド・ソープの著作に飛びついた訳ではない。

もちろん、ブラック・ショールズ方程式はワラントだけではなく、様々なデリバティブを含む金融派生商品の適正価格の評価に役立つ方程式である。我々の身近なところで言うと各種保険の価格などはこの方程式(を応用したもの)に基づいて算出されている。

米国では宇宙開発の規模が縮小する中、仕事にあぶれた数学者、物理学者がウォール街に流れ込んで、ブラック・ショールズ方程式の利用を加速させた。

1994年になると、LTCM(Long-Term Capital Management)というヘッジファンドが設立された。取締役の中にブラック・ショールズ方程式の生みの親の一人、マイロン・ショールズが在籍している事から注目を集めた。番組ではLTCMを立ち上げたのがショールズであるような言い方であったが、正確には彼は取締役の一人であった。
さらに、1997年には彼はノーベル経済学賞を受賞するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いとなっていた。一方のフィッシャー・ブラックは、1995年に亡くなった。


金融工学の限界

しかしながら、皮肉な事にショールズがノーベル経済学賞を受賞した翌年(1998年)からLTCMの進撃は急減速する。それは、ライバル達が公表されている金融工学の方程式を使って運用する事を始めたからである。高い運用効率を求めるLTCMはロシア国債に目を付けた。ハイリスク、ハイリターンである。それでも、ブラック・ショールズ方程式に固執するLTCMはロシアの国債の購入を選択した。

結果としてロシアはデフォルト(債務不履行)を発表しLTCMは破綻した。損失額は46億ドルに上った。

番組では、ブラック・ショールズ方程式は平常時の価格の評価を行う方程式であり、デフォルトなどが起こる事象には対応していないとした。私が補足的に私見を述べると、行動経済学で言うところの正常性バイアスが働いていたのではないかなとも思うのだが、番組では触れられずじまいであった。


そしてリーマンショックへ

LTCMの破綻を通しても、金融工学自体の発展は衰えなかった。金融機関は独自の数式を編み出し市場へと応用していった。
そして2008年に、リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した金融危機が訪れた。統計の数字はいろいろあるが、番組では米国で800万人が家を失い、1,000万人が失業したとある。
リーマン・ショックそのものに関しての説明は本稿では簡単な説明に留めるが、要は住宅ローンの返済能力を過大評価して住宅を提供し続けた結果、返済できない人たちが続出(不良債権化)し、それから様々な金融市場に飛び火して世界的な金融危機を招いたというものである。


現在のトゥルース

金融取引の現在は皆さんご承知の通りコンピューターにより実施されている。コンピューターは1秒間の間に何万回も取引を行っている。これを高頻度取引、HFT(High Frequency Trading)と呼んでいる。コンピューターに組み込まれているアルゴリズムは完璧ではないし、バグが入り込んでいる可能性がある。番組では、もはや人間には何がきっかけで金融危機が起こるか分からないと説明している。
そして、最近台頭してきたAIが金融取引をリードしていく事になるだろうと述べている。


まとめ、金融工学は必要か

金融工学に関して、今更それを捨てて経験と勘と度胸の取引の時代に戻る事は不可能であると論じている。電気を例に挙げて今更電気のない世界に戻れないのと一緒であるという事である。
金融工学者の責任に関して、金融取引の公式がブラックボックス化しているからこそ、その責任は大きいとまとめている。

金融工学の黎明期からそれに踊らされた人々の悲喜こもごもの人生であったが、現代社会において金融工学は我々の生活と密接に関わっているものであり、例え表面に出てこなくてもその存在は我々に恩恵を与えている。我々の資産運用に関しても、これらの歴史を踏まえたリスクを考えつつ行っていかなければならないという事である。